2項間漸化式が分からなくて職員室で泣いたとか、そういうのみんなあるんじゃないの?

高校一年生のときとかに2項間漸化式とかいうのを習うと思う。2項間漸化式というのは例えばこういうの。
a_{n+1}=2a_{n}+1
解法としてはa_{n+1},a_{n}=xとかっておいて、解くような感じだったと思う。で、高校のとき、何でこう置くのかが分からなかった。計算が分からないというか、なんで置いていいのかが分からなかった。だって、違う数じゃないの?って思うじゃない。大学に来たら他の解法があるとか分かったわけだが、高校のときは「とりあえず、こうやっとけ!!」みたいな感じで言われたと思う。置けば解けるのは分かるが、納得しないのに置けるはずもない。と思っていたら、まわりのみんなの手はかりかり動いていて、俺の右手は許してくれない。放課後、先生のところに質問に行くのだがやっぱり分からない。みんなはできるのに、俺は置けない。何か色んなことが悲しくなったりして、職員室で泣いたりしていた。当時16歳。

みんなこういう経験しているものだと思っていたのだけど、そうでもないということを聞いてびっくりした。こういうので泣いて、みんな大人になってきたんじゃないのか?!

今となっては「手を動かせ」という感じだが*1、考えれば考えるほど「なんで置いていいのか」より「なんで皆は疑問もなく置けるのか」というところに疑問がいっていた。今日先輩とかと話してたんだけど、ちょっと違う感じだった。

本質との兼合い、トレードオフ

例えば、この2項間漸化式が何か他の大きな問題に組み込まれていて、2項間漸化式は問題の本質ではないとする。そんな場合だったら、どうするか。

  • 問題の本質ではないところにうじうじと時間をかけて、欲しい回答には全然近づけないのか
  • とりあえず分かったものとして飛ばし、本質に近いところに時間をかけるのか

時間とつまってる箇所の重要さとかいろんなものとのトレードオフだと思うんだけど、難しいなぁ。とりあえず分かったことは今のところ自分には、(卒論とかそういう文脈で)問題の本質みたいなのが決まってないので、本質じゃないとろにも時間をうだうだとかけられているということ。そういうのが決まっていったとすると、俺の「xと置けない」ような性質は変わっていくんだろうか?それとも変えないとやっていけない状態になってしまうのか。

あともう一つ

自分の潜在的な意識にありそうなものとして。

俺は自分に対して「すげー能力の低いやつ、できの悪いやつ」みたいな評価をしてる。だから、上みたいなところを"分かったふり"みたいな状態にしておく&みんなが本当に分かっているとすると、もっと難しい問題にぶちあたったとき、俺は本当に何もできない歯が立たないような状態になるのが恐い、というのがあるというとが分かった。

*1:xと置け、ということじゃなくって色んな手法を試してみろってこと